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#12 PCは道具

 最近なにかとすぐに集まるようになった知人というか、友人というか、そういう人が2人ほどいる。その人たちとは、いつも建設的で本質的な話ができるので、とても居心地が良い。その中でも特にいつも話題になるのは、「Windowsだろうが、Macだろうが、そんなことはどうでもいいんだよね」って事である。ようするに、自分は何がやりたくてPCを操作するのかが問題であって、OSがなんであろうと、自分の目的がかなえられる手段となれば良いわけである。自分自身も、特に理由があるわけでもなくWindowsを使っているが、あえて理由をあげるとしたら、圧倒的なシェアによるアプリケーションの豊富さや、何かトラブルが起こったときに助けを求めることのできる人がMacに比べて圧倒的に多い。ただそれだけである。(なんて言っても、僕を知っている人は「そんな奴がなんで・・・にいるんだ!」って突っ込みたくなるんでしょうが・・・)
 しかし最近、Macintoshなるものを手に入れた。これがまた新鮮でたまらない。ウィンドウを閉じてもアプリケーションは終了しないし、ウインドウを閉じるボタンがWindowsとMacは逆で、たまに間違えたり、インターネットに接続するための設定を学んだり、フォントによってこんなにもホームページのデザインは変わるものなのか!と感動したり、とにかく毎日が新鮮でたまらない。
 思うに、WindowsからMacに移行するのはそれほど問題ではないような気がするが、MacからWindowsに移行するのは、それなりの努力が必要なのではないかと思う。(特に根拠は無いが)  それから、よくOSがハングアップすると、「なんでハングアップするの?」とか一生懸命考えて、その原因をわかりもしないくせに突き止めようとする人がいるが、「無駄な抵抗はやめたほうが良い」とアドバイスしたい。なんのためにPCを使っているのか?ということを考えれば、今すべきことは、OSがハングアップした原因を追求することではなく、一刻も早く再起動して、自分の目的を叶えることではないだろうか?これはWindowsでもMacでも同じ事だと思う。
 一昔前は、PCに触ることが珍しい時代で(って、そんな時代にPCなんて存在を僕は知らなかった)PCを操作できるようになることが目的(?)みたいになっていたけど、これだけ世間にPCが普及してきて、PCがツール化してきたのを考えると、やっぱりPCは道具であって、PCに変な期待をするのもおかしな話だと思う。
 でも、PCは車と似ていて、道具と考える人もいれば、インテリアのようなものだと考える人もいるし、趣味だと考える人もいる。いろんな考え方があって当然だと思うけど、流行っているからといってPCをむやみに購入するのもどうかと思う。PCの購入を否定しているのではなくて、やっぱり初心者はPCに期待することが大きいはずで、買ったはいいけど、結局埃をかぶってるっていう状態になったら、なんだかもったいないような気がするのです。「自分はこれがやりたい!」っていうのが先で、その後に「じゃあPCを使えばいいよね」ってなるのが理想的だと思う。